Makani McDonald(マカニ・マクドナルド)
カウアイ島で育ち、世界屈指の波でサーフィンを覚えたマカニは、ロングボードとショートボードでいくつかのハワイのタイトルを持っており、サーファーがパフォーマンス・ボードに何を求めているかを肌で知っている。
Mitsu Matsushita(ミツ・マツシタ)
ボクは6年間タウン&カントリーでシェイプしてきて、グレン・パン、チノ、トッド・ピンダー、K.ラポザ など、たくさんのハワイの偉大なシェイパーに影響を受けてきた。ベン・アイパ、グレン・ミナミ、デニス・パンのピュアなサーフィン・スタイルも尊敬し、敬 愛している。ハワイに住めてラッキーだ。あらゆるタイプの波があるし、ボードをデザインしたらそれを試してくれるサーファーたちといつも出会える。
Keoki(ケオキ)
「ボクはサーフボード・オタクさ」と自ら認めるケオキ。それもそのはず、ケオキは分子生物学の学位を持っており、また元ビショップ博物館のコンサルタント であり、サーフィンの歴史をつづる由緒ある板の数々を実際に触って研究した経験を持つ。サーフボードに対するアプローチは科学的であり、ケオキのデザイン は、膨大なリサーチ経験と研究に裏付けられている。12年前に初めてボードをシェイプして以来、科学的アプローチ、歴史的な理解、アーティスティックな創 造性、サーフィンに対するパッションを融合させ、ユニークなスタイルを創り上げてきた。
Jay Hodge(ジェイ・ホッジ)
僕は職人で自分の仕事に誇りを持っている。サーフボードも工場で大量生産されるご時世だけど、お金になるからってそんなものに自分の名前がつけられるのはごめんだね。 コンピューターも基本的に使わない。それなりに利点はあるだろうけど、ハンドシェイピングに取って替わるものじゃ ないよ。クラフトマンシップっていうのは奥が深いんだ。 僕がやりたいのは美しくてすごいライディングをさせてくれる板を作ることであって、大量生産された何千本 ものおんなじ板に囲まれたいとは思わない。サーフィンにはソウルがあるんだって忘れちゃいけないよ。
Dennis Pang(デニス・パン)
デニス・パンは若い頃からずっとノースショアでサーフィンをしてきて、2フィートの波から20フィートの波まで知 りつくしている。クオリティの高いハイパフォーマンスの板のハンドシェイピングの経験は30年以上だ。その経験をもとにして、いつもより新しいデザインを 追求している。ロングボード、シングルフィン、ミニガン・レボルーション、ツィン・フィン、そしてスラスターとボードの時代は移り変わり、その間にデニス は合計2万7千本ものサーフボードを作ってきた。サーフィンとサーフボードを作ることに一生をかけてきた男だ。サーフライン・ハワイ、ライトニング・ボル ト、ローカル・モーション、タウン&カントリーなどのブランドで仕事をしてきた。仕事で日本、ブラジル、ペルーなどに行った経験を持つ。 世界中の頼りになるサーファー達のフィードバックを受けて、最も進んだハイパフォーマンスの板を作り出すことをめざして日々がんぱっている。
Otis Schaper(オーティス・シェイパー)
クロニック・サーフボードはオーティスのブランド 1598年生まれ。1960年、スイミングレッスンの初日に泳ぐ。1966年、ボディサーフィンを始める。1969年、最初のサーフボードを購入。1972年、盗難車の州外持ち出しその他の罪状で有罪になり、サーフィンをするために家出。1975年、ギターを習いだす。1977年、サーフィンをしていて風紀紊乱行為で逮捕される。1979年、サーフィン中サメに腕を噛まれて11針縫う。1980年、サーフボード制作を始める。1981年、5’7のツインにフィンを二つつけて、プエルトリコで冬中それに乗る。1982年、最初のバンド「マンゴ・ジャム」をプエルトリコのアグアディヤで結成。ファン650人が熱狂。1983年、約束の握手と3日前の通告を頼りに、現金650ドルとブラック&デッカー5000だけを持って、サーフボードを作るためにスペイン行きの飛行機に乗る。バスク地方で夜遊びが過ぎて倒れそうになる。1日5ドルでカナリー諸島で冬を過ごす。1983年、ミスティ・ポイント・ブレイクを探しに西アフリカのダートロード・トリップへ。逮捕され、世界屈指の悪名高い牢獄へ投獄されそうになる。1985年、メキシコとエルサルバドルを旅しながら、独自に開発した取り外しのできるフィン・ システムを使ったファイブ・フィン・ボードを創り、テストする。1986年、最初のボードをシェイプする。1987年、オアフ島に移住。1990年、結婚。ハネムーン1日目にウルワトゥで5時間サーフィンする。1992年、サーフボードを使った演出で悪名高いバンド「オティス・アンド・ザ・アブユーザーズ」の「I Feel the Need(アイ・フィール・ザ・ニード)」(To smoke some weed.) が流行り、ラジオで頻繁に流される。1994年、3つ目のバンド「ストレンジャーズ」。2003年、クロニック・レーベルを立ち上げる。決して後ろを振り向かないのが信条。
Jon Pyzel(ジョン・パイゼル)
サーフ歴25年のジョンだが、シェイパーとして仕事を始めたのは1996年と比較的最近。 しかし彼が板を手がけたプロサーファーのリストにはトッププロがずらりと並び、その腕を証明している。Timmy Reyes Shane Beschen, Noah Johnson, James Labrador, Perry Dane, Ammion Goodwin, Mark Healy, Dave Wassel, Davey Miller, Noah Snyder, Dan Malloy, Chris Malloy, Keith Malloy, Chas Chidester and Jack Johnson. メインのチームライダーは、ナショナル・チャンピオンに4度なったジョン・フローレンス。 サーファーにイマジネーションを超えたライ ディングをさせてくれる、これからの活躍が楽しみなシェイパーだ。
Glenn Minami(グレン・ミナミ)
サーフ歴38年。シェイプ歴35年。タウン&カントリーやブルー・ハワイ&インファミーのシェイパーだったことも。板をてがけたプロサー ファーのリストは長い:Dane Kealoha, Shaun Tomson, Cheyne Horan, Martin Potter, Mark Foo, Johnny Boy Gomes, Sunny Garcia, Ross Williams, Pancho Sullivan, Carlos Cabrero, Mikala Jones, Fred Patacchia, Brendan Dias, Randall Paulson and Ola Eleogram. 35年間変わらないグレンの目標は、1本1本が自分のボードのつもりできっちりと納得のいく仕事をすること。
Mike Casey(マイク・ケイシー)
ボクは1949年の2月4日、カリフォルニアのオーシャン・ビーチの生まれだ。1967年にキアニー・ハイスクー ルを卒業した。ブラックス・サーフィン・アソシエーションっていうサーフィンクラブのメンバーだった。当時、チャニン・ディフェンダーファーが世界的に評 判の高いサーフドードのメーカーだった。そのファクトリーには腕のいい職人がたくさんいて、ボクも1967年の秋にフルタイムで採用されたんだ。そこで名 人達からサーフボードのすべての制作工程を学ぶことができて、とてもいい経験をさせてもらったと思うよ。 ボクがオアフ島に来たのは1977年。ありがたいことに、サンセットポイントに住んで、そこで仕事、サーフィン、 セーリング、ダイビング、釣りをして今年で24年になるんだ。サーフボードのシェイピングを本格的に始めたのは1967だ。大人になってからずっとサーフ ボードを作ってきたってわけだよ。ボクの仕事は「プロダクション・シェイパー」ってことになってるけど、ボクの気持ちとしては、その板がどこに行く板であ ろうと、1本1本が一番大事な板だと思って作っているんだ。
Jeff Bushman(ジェフ・ブッシュマン)
ノースの住人であるジェフ・ブッシュマンは、パンチョ・サリバンをはじめとする多くのトッププロに信頼されている。
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